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長崎地方裁判所 昭和37年(ワ)142号 判決

原告 林ミチ(仮名)

被告 前川一男(仮名)

主文

被告は原告に対し金二〇万円を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担その余を原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一、原、被告が旅館○○館において知り合い情交関係を生じ、爾来原告住居地で右関係を続けていたことは当事者間に争いがなく、成立に争いない甲第一号証の二、乙第六号証に証人野本ヤスコ、同林鶴子、同林ミツコ、同松井昌尚、同森村卓也、同前川義一、ならびに原告本人および被告本人(一、二回)の各供述を総合するとおよそ次のような事実が認められる。

原告はいわゆる戦争未亡人であつて、終戦後外地より引き揚げ一子(長女鶴子)を実姉の許にあずけて自らは長崎市内の旅館○○館において女中として稼働していたが、昭和二五年暮頃、同旅に投宿した被告と知り合うようになつた。被告は和歌山県においてロープ類を販売する会社を経営しているもので、昭和二年妻正子と法律上の婚姻をなし爾来同女と結婚生活を続けているものであるが、当時商売上毎月のように来崎しその都度○○館に止宿していたので、原、被告は客、女中として互に身の上話などするうち次第に親密になり、遂に同二七年初め頃より情交関係を結ぶに至つたが当時原告は三七歳被告は五〇歳であつた。その後原告は同旅館から他の二、三の旅館に移つて稼働したが被告との関係は相変らず継続し、被告は来崎の度に原告の勤める旅館に投宿して情交を結んでいたもので、その間被告は原告に対し、自己に妻のあることを秘して、あたかも原告と婚姻するかのような言辞を弄していたので原告もこれを信用して将来は必ず被告と一緒になれるものと考え被告の求めるまま情交に応じていたものである。

かくして、昭和二九年春、被告は長崎市元船町に土地家屋を買い求めて会社の出張所を開設し、原告および原告の長女を引きとつて同所に住まわせた。原告はいよいよ被告が自分と結婚してくれるものと思い込み、その頃原告の姉から再婚の話などもあつたが被告と一緒になつたからと言つてこれを断わり、かつ被告を自分の姉妹に引き合わせたりしたこともあつたが、その際も被告は原告のことは引き受ける旨明言していた。

原告は出張所にあつては、当初他に店員が居なかつたので一人で商売を切り回すかたわら、被告が従前の如く毎月一週間ないし一〇日間位来崎して滞在する間は同所において同人と情交関係を続け、夫婦気取りで生活していた。しかるに昭和三一年頃には原告も被告に正妻のあることを察知するに至つたが、被告との関係は以後もそのままの状態で継続していた。しかしてその間被告は原告に対して生活費として相当額の金員を与え、昭和三一年からは給料名義で毎月一二、〇〇〇円を与えていた。

このような関係が昭和三五年暮まで続いたがその頃から原告が子宮内膜症などのため病弱となり、被告の肉体的要求に応じられなくなり、又出張所の仕事も充分できなくなるに及んで被告は原告をうとんじ始め、両者の仲は次第に悪くなり以後は情交関係も全く消滅するに至つたものである。以上の認定に反する証人前川義一及び被告本人(一、二回)の各供述部分は措信しない。

しかして、昭和三六年一一月頃、被告はその長男義一を介して原告親子に出張所から退去するよう要求したことは当事者間に争いがなく、原告本人の供述によれば、原告に対し家屋(同出張所)明渡を訴求中であることが認められる。

二、そこで原告の主張について考えると、原告は被告との間に婚姻の予約が成立したと主張するが、前記認定のように被告には妻があつて正常な結婚生活を営んでいる事実にかんがみ、たとえ被告が原告と将来結婚する旨云つたからとてそれは情交を求める口実にすぎず、また原告がその親類を被告に引合せた事実があつたところで、いまだもつて両者間に法律上の婚姻予約の成立を認めるに足らない。又かりに原、被告間に婚姻予約が成立していて事実上いわゆる内縁関係を生じていたとしても右関係は本件のように他に正常な婚姻関係が存在する場合には法律上の保護に値しないものというべく、被告においてこれを不当に破棄したとしても破棄による責任を負わしむべきではないと解されるので、原告のこの点の主張は採用できない。

三、次に原告主張の不法行為の点につき考えてみるに、前記認定の事実によれば、被告は原告に対し、自己に妻のあることを秘し、婚姻の意思がないのにあるように装つて原告を欺いて情交関係を結び、その後も原告が被告に妻のあることを察知するまでの間原告をして結婚の希望を抱かしめ、これを欺罔して情交関係を続けて来たことが認められるから、被告は不法に原告の貞操を弄びこれを侵害して来たものというべきであつて、被告は原告に対し右侵害によつて原告の蒙つた精神的損害を賠償する義務があることが明らかである。

なお、原告は、被告が原告を欺罔して女中、事務員、メッセンジャーの仕事をさせたと主張するが、なるほど原告が出張所において事務員等の仕事に従事したことは前記認定の如くこれを認めることができるけれども、一方原告は被告より右期間中毎月少なくとも一二、〇〇〇円以上の支給を受け、また無償で右出張所に居住させて貰つていたこともまた前記認定のとおりであるから、原告はその労力に対して相応の対価を受けたものと解するを相当とし、従つて原告が出張所の業務に従事したことによつて何等かの損害を生じたとは考えられず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

また、原告は被告の不法行為により性病に感染させられ、通院加療を余儀なくされ、治療費の支出等の損害を蒙つたと主張するが、成立に争いない甲第四号証と原告本人の供述によれば、原告が子宮内膜症に罹患し治療した事実は認められるが、右疾病が被告の行為に起因する旨の原告本人の供述部分は信用できず、甲第四号証を以つては未だ右疾病と被告の行為との因果関係を証ずるに足りず他に原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

よつて、原告は被告に対し、貞操を侵害されたことによる精神的損害に対する慰藉料のみを請求する権利があるというべきである。

四、そこで、進んで損害賠償の数額につき考えるに、前記認定のように、情交関係を生じた当時、被告は五〇歳位で通常妻子のある年齢であり、しかも生活の本拠は和歌山県にあつて、月に数日間しか来崎していなかつたのであるし、又証人前川義一の供述によれば昭和二八年頃からは被告の長男である同証人とも再々会つていたというのであるから原告において真実被告との婚姻を期待するのであれば当然被告の身許について充分調査すべきであつて、もしこの調査をすれば被告には妻がありとうてい婚姻の可能性のないことが判明した筈であり、かかる調査を怠つたこと、また、被告に妻のあることを知つた後も関係を清算しようとしないで従前通り情交を続けたこと、ならびに原告が未亡人であつて、年齢も当時すでに四〇歳に近かつたことなどの事情は慰藉料の額を算定するについて相当斟酌するを要するところである。

更に証人林鶴子、同前川義一、および原告、被告(一、二回)本人の各供述によれば、原告は被告より昭和三六年一一月まで毎月約一万二千円の生活費の支給を受けた外、間代等の収入を取得させて貰うなど経済的にかなりの援助をうけ、そのため長女鶴子を高等学校から短期大学まで卒業させることができたこと、右鶴子は現在高等学校に教員として勤務し原告と同居していること、原告は現在無職であり亡夫の軍人恩給年額五万二千円と鶴子の月給約一万円で生活していること、一方原告はロープ類を販売する会社を経営してかなり手広く商売をして居り、相当の資産を有することが推認できること、などの事情が認められ、これらの諸事情に前記認定の本件不法行為の態様を併せ考えるときは、本件慰藉料の金額に金二〇万円を以つて相当と認める。

よつて原告の本訴請求は、被告に対し右慰藉料金二〇万円の支払いを求める限度において正当としてこれを認容し、その余の請求は理由がないのでこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 亀川清 裁判官 阪井いく朗 裁判官 柴田和夫)

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